2012/02/14

平安物怪録からのあれこれ 壱。

さて。

今日は平安物怪録について、あれこれ書いてみようと思った。
これからシナリオの題材とか見つかったり、平安時代について色々深まればいいなあ。
とかなんとか。

まあ、物怪録、3rdにはないけどさ!w

やりたいなぁ、と思った時のネタ帳も兼ねてここに書いておこう。
手持ちの資料と記憶を頼りに。時には調べながら。
年表もこれで充実するだろう。

長いので、続きはクリック。


 平安物怪録って                                        

一度は書いてみないとイメージつかない気がしたので、まずは「平安物怪録って何」って話から。

ダブルクロスは2ndエディションの頃にあった、ステージのひとつ。
「アルターライン」に収録。追加データは「アウトランド」に。
この本はステージ集で、他にも、魔街「デモンズ・シティ」、逃げられない仮想空間「ロストエデン」もあった。
ああ、忘れてはいけない。新しいシンドロームとして、バロールが追加されたのも、この本。

ところでバロールと言えば、《時間調律》、《時の棺》、《ファスト・フォワード》に《時間凍結《、もっと後に追加されたDロイスには「時使い」とかもあったけど、説明文には重力を操るとしかない。
重力は時間をも歪める。そいう事だろう。

……と、話がずれた。
そんな「アルターライン」に収録されていたステージがこの、平安物怪録。
舞台は平安。陰陽道や神通力、物の怪、鬼。それらが当たり前の時代。
ダブルクロスは、レネゲイドウイルスに感染したオーヴァードが活躍する話だけど、この時代、ウイルスだのという概念はない。そりゃそうだね。
平安の都で魑魅魍魎や怪奇現象に挑んだりすることができる。そんなステージ。

ステージ紹介には、平安京の解説、その時代がどんなものだったか、身分制度や元号、条坊図に内裏図と、普通に資料としても嬉しい感じ。
3rdに追加されないかなぁ……。

今回はこの本に書いてない情報を元にまとめてみようかな。と思っている。
出来事とか、なんとか。出来上がってみればお勉強な感じになりそうだけど……。w


 平安時代のこと                                          

平安時代と言えば? と言われて思い出すことは多い。
文化面とか華やかな印象が強いか。
節句、十二単、貴族社会、国風文化、源氏物語、古文漢文、陰陽師……とかとか。

平安時代は、いわゆる国風文化という時代が根付いた頃。
歴史の区分の中では「古代」に分類される。
中世じゃないのかなと思う人もいるとは思う。というか、自分がそうだった。
所謂、王朝時代が古代だと思えば……分かりやすいかなぁ。
Wikipedia先生によると、「飛鳥時代から平安時代」、「聖徳太子の政権掌握から鎌倉幕府の設立まで」、とある。「奈良時代と平安時代をピンポイントで指す」こともあるらしい。へえ。

具体的には、平安京遷都から鎌倉時代設立あたりまで。その間、およそ390年。長いね。
とはいえ、平安時代と鎌倉時代の境目って意外とあやふや。
良い国繕う……違う、良い国作ろう、という1192年を学校では習ったけど、壇ノ浦で平家が滅び、頼朝に様々な権限を与えた1185年という説もある。今はこっちが有力なのかな。
でも、鎌倉に頼朝の邸宅である大蔵御所が作られて、幕府の原型ともなる「侍所」が設置されたのは1180年。
10年くらいかけてじわじわと力を伸ばしたイメージだろうか。
こんな感じなので、「平家滅亡の1185年」を此処では平安時代の終わりとしよう。
ちなみに天皇は、50代桓武天皇から、82代後鳥羽天皇まで。


 西暦と元号 から                                         

さて。その中でも「平安物怪録」が扱うと明記してあるのは、938年~1046年。
元号で言うと、天慶元年から永承元年。
天皇は61代朱雀天皇から70代後冷泉天皇。
上に書いた938年から1046年(以下、物怪録)は、国風文化の真っただ中。
その前後も含めて、あれこれ書いて行ってみようと思う。

あ。日付は全部旧暦で行きますよ。よ。


 前後の話                                             

さて、ここでは、平安京遷都をした桓武天皇の頃から追ってみる。
多分。単なる歴史のお勉強状態になるから注意。

■ 桓武天皇・平城天皇の頃。(781年4月~809年4月) 

40も半ばで即位した天皇の治世。
平城京から長岡京に遷都したり、最初の征夷大将軍に坂上田村麻呂を任命したりも、この頃。
長岡京遷都のきっかけは、井上皇后とその息子の恨みによる、藤原百川の死と言われている。
そんな経緯で遷都してきたのが784年。延暦3年の事。
だが、この都は10年で捨てられる運命。
遷都の翌年。遷都を提案した男、藤原種継の暗殺事件が起きる。
この事件の首謀者は、早良親王とされた。彼は絶食による無実の訴えもむなしく餓死。
それ以来、桓武天皇に近しい人物が突然死去したり、病に侵されたりする。
これは早良親王の祟りである、という陰陽師の話に驚いた桓武天皇は、
建設中の長岡京を捨て、新たな都、平安京への遷都を決めるのでした。まる。

あ。良親王に続いて皇太子となった安殿皇子。彼は「風病」を患いながら平城天皇として即位するも、3年で位を譲ってしまった。


■ 嵯峨天皇から陽成天皇の頃(806年4月~884年2月)


この頃を「弘仁・貞観文化」とか「平安前期」と呼んだりする。
弘仁・貞観文化は9世紀全体を指すことも。
小野篁が活躍したり、摂関政治が始まったり。応天門の変や貞観地震取れる大地震が起きたのはこの頃。
また、9歳で即位した清和天皇が思春期くらいの頃、「咳(がい)」が流行する。
要はインフルエンザ。今の季節も流行ってますね。手洗いうがい大事。
また、必要があって作られた官職「令外官(りょうげのかん)」もできる。
征夷大将軍も、令外官のひとつ。
他には「勘解由使」「蔵人の頭」「検非違使」「関白」など。
検非違使は<情報:警察>を持つワークスとして存在してる。
検怪異使もこの、令外官のひとつだろうと勝手に思ってる。w


■ 宇多天皇の頃(889年8月~897年7月)

遣唐使が廃止されたのがこの頃。
提案者は菅原道真。これ以降、日本は鎖国状態になり、日本独自の文化が花開くこととなるわけです。
竹取物語が成立したと思われるのも、この頃。


■ 醍醐天皇から堀川天皇の頃(897年7月~1007年7月)

この頃が、いわゆる平安文化と呼ばれる時代。平安物怪録はちょうどこの中にある。
昌泰の変で菅原道真が左遷されて、都に雷落としたり。
凶作・疫病、洪水とあれこれ起こったり。
平将門や藤原純友が乱をおこしたり。
富士山が噴火したり。
百鬼夜行に遭遇した人が居たり。
藤原道長が活躍したり。いろんな物語が成立したり。
そんな、「平安時代」の有名どころが詰まった時代。


■ 鳥羽天皇から後鳥羽天皇まで(1007年7月~1198年)

藤原道長が摂政に就任したりしたのがこの頃。
同時に、戦乱が多くなってくる。元々事件が絶えなかった印象のある時代だが。w
摂関時代が終わって。
院政が始まって。
平清盛が太政大臣になり、平氏政権が始まって。
後白河法皇を幽閉したりしたから、院政が一時中断したり。
源頼朝が東国支配権を手に入れたり。
壇ノ浦で平家が滅亡して。
頼朝が征夷大将軍になり。
時代は鎌倉へと移り変わっていく。というかんじ?


今日はここまで。長くなりそうだったので続きはまた明日。
物怪録の年代、半分は書いたけど寝るまでに終わる気がしなかった。w

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